だいぶ前に、爆笑問題のラジオ番組を聴いていたら、読者からこんな投稿があった。(ラジオを聴きながらメモをとったポストイットが机の隅から出てきて思い出しました)
『20歳のころ。不安だったぼくに「そのままの君でいいんだよ」と言ってくれた人がいた。それを信じていたら、いつのまにか30歳NEET。全然よくなかった』
まぁ、実際よくあることで、笑い話(笑うしかない話)だ。本人にとっては深刻な問題なんだけど、過ぎ去った時間は取り返しようがない。
似たような話はどこにでもある。
たとえば、数年前に流行った、SMAPの『世界にひとつだけの花』。
この歌の歌詞で癒されてしまった人は、もう少し「考える」癖をつけたほうがいい。
冒頭の歌詞は、たしかこんなのだった。
『花屋の店先に並んだ小さな花を見ていた。人それぞれ好みはあるけど、どれもみんなきれいだね。この中で誰が一番だなんて争う事もしないで、バケツの中誇らしげに、しゃんと胸を張っている。それなのに僕ら人間は、どうしてこうも比べたがる? 一人一人違うのに、その中で、一番になりたがる?』
ちょっと考えてみよう。花が花屋の店先に並ぶまでに、どれほどの淘汰を経ているかということを。
まず、ほとんどの場合、花屋の店先に並んでいる花は自然の花ではない。より美しく咲き、より育てやすいように品種改良を重ねられたものだ。そのプロセスは「ダメなやつは捨てられ、いいやつだけが子孫を残せる」という競争と淘汰そのもの。花の色が汚いけどかわいそうだから残してやろうか、なんてことは一切起こらない。
そんな品種改良を経た種子を花の農家が育て、きれいに咲きそうな花を選別して市場に出す。もちろん、育ちの悪い花はその段階で全部間引かれる。
市場では、需要と供給のバランスで品種ごとの価格帯が形成され、個別の花の品質によって値段がつけられる。出来の悪い花は、安値でたたきうられるか、捨てられる。
そうして「花屋の店先」に並ぶわけだが、ここでもお客さんの厳しい評価にさらされ、売れる花と売れない花が出てくる。売れなかった花は、もちろん捨てられる。
世の中は本来そういうものだし、実際にそうできている。
世界のほとんどの地域では、暖かい部屋で食事や趣味に没頭できるNEETなんてのは存在できない。スラムや物乞いに堕ちるか、死ぬかしかないだろう。衣食住がこと足りていながら「私はがんばれないしダメな奴だけど、楽しく自分らしく生きたいの。誰かそれでいいって言ってください」なんて人は、良い悪いは別として、生きていけない。
ならば、自分を変えようではないか。
自分を進化させるということは、過去を捨て、新しい自分になるということ。
しかし、人はなかなかこれができない。
なんとか創り上げてきた「今」を壊すことが、これまでの人生を無にすることだと感じてしまいがちだからだ。しかし、人も組織も、環境の変化に合わせて常に変化し続けなければならない。そのためには、創っては壊し、壊しては創る、の繰り返しが大事だ。
でも、大丈夫。無駄になんかなってない。
あなたが「今」を創ったから、よりよい「未来」をつくる資格を手にできたのだ。
つまり、進化に必要な心構えとは。
まずは、生まれ・育ち・氏素性・学歴や職歴など、「今」の自分をつくりあげているものを無条件で全肯定すること。
そのうえで、目指す未来を想像し、今の自分をスタート地点として頑張ること。
この繰り返しこそが進化を生むのだ。
決して、「今」を守ろうとしてはいけない。
その「今」はすぐに「過去」になるのだから。




